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手を合わせて「いただきます」は戦後に普及した作法
https://twitter.com/cxp02120/status/1093848064551317504
2019-02-09 19:26:13
お寺への集団疎開も原因の一つでは、というコメントも。
「いただきます」単体でも昭和初期から。◇
・いやだって言ってる奴が捻くれ者なだけやね・似非江戸っ子じゃん。・だから何?としか・・・食べ物が少ない時にありがたさがわかって感謝するようになったってだけじゃないの?それが今でも続いてるのの何が悪いのかわからない・ああ、引用RT部分は無視してくれ。食べ物への感謝を示す具体的でわかりやすい作法が、比較的最近の文化だったって知ったのは個人的に面白いと思ったんだがなぁ。・うちは手を合わせてどころかいただきますの習慣もなかったな。祖父母大正生まれ北海道出身。・自分が持ってないからと行って他人が行ってる習慣を否定するのは視野の狭さでしかない 集団疎開、なるほどなあ・おもひでぽろぽろのパイナップルを食べるシーンにあったような、家族揃った所で父ちゃんが代表して「頂きます」と言う文化は、もう無さそうな気がするな。・#5 うちは毎日顔を会わせてる家族間でいちいち「おはよう」から「おやすみ」すら言ったことないよ。他家に泊まった時ならいざ知らず。・だから駄目です、というのはまた別・何がいけないんだろう?・こういうのは生データ見れない以上統計者の素性から洗わんといかんので面倒なんだよな・戦後というか平成に入ってからだと思うが・我々が日本古来の文化と思ってるもののかなり多くが明治以降のものだったりする。・ここで小堺一機が一言 ↓・ら゛・似非マナー講師の類い?・#12 ほう、40超えてる俺が平成生まれだったとは・明治にはやっていた、五観の偈のように唱える文句は昔からあった、に対して一般化したのはテレビであるって言う証拠全く出してねえしなんだこれ。・ネットにあふれる「通説はウソー!俺の方が正しい!」言いたいだけの輩ちゃうんか・幼稚園で習った気はする。昭和時代。・中学時代仏教系だった自分は食作法として教えられた。もっともそれより前に宗教外の習慣として身についてた。昭和生まれの50超え。・身近な習慣のルーツ探検面白いね。リンク先の統計では結構やってる人多いみたいだけど、例えばファミレスやフードコートとかではあまり見かけない気がする。うちは適度にやってる・僧職だが、是非はともあれ本来の食事作法は「この食によって身を養い、布施で食事を得るに相応しくあれ」で、いまの命を~「いただきます」的な意味合いは真宗発祥で仏教の戦時協力の一環だったから、どうもその辺に噛みついていそうな感はある 参照「禅と戦争」・#23 真宗の勢力に関係なくいただきますの実施率が変わるのは何か理由があるんじゃろか?戦時協力をした他の宗派の習慣ではなく真宗だけ広まった理由って書いてある?・言葉的には食事を出した人に向けて「これから食べます」「食べ終わりました」の意味だろ。単一の意味しかないとは主張しないが、開始と終了の区切りみたいなもんかな。#22 そこには言う相手が居ないからじゃないか?定食屋のカウンターでは自然に言えるだろ?そう言えば、給食の時は「感謝の気持ちを込めて」との掛け声で、皆揃って「いただきます」と言わされてた。・仏教よりは給食で広まったんじゃないの?子供から親に伝わったものな気がする。・言葉の問題じゃなくて、手を合わせるかどうかの話じゃないの?・ツイート見ても手を合わせる事自体を問題にしている人は少ないし、少なくとも俺は手なんか合わせた事はない。まあ食事を出した人に覗き込まれている場合ならするかもしれんが。合掌の話なら広まっているとの認識はない。#23これから食べる相手に向かって「いただきます」は宗教的と言うよりはマンガチック。こじつけじゃないの?少なくとも仏僧は以前から言ってたの?・少なくとも「ご馳走」は作り手に対するものだろう。仏教には関係無いんじゃないか?合掌は仏教からだとは思うが。・♯28 仏教というか僧侶の作法の食事作法だと「いのちへ感謝」では無く、「この食を得られた事の意味を考えろ」って感じだったのが、戦中~戦後からいただきますの普及によって意味合いが変化していったという感じですな。在家さん向けの五観の解説もガラッと変わっとりますな。明治あたりはごちそうさまはあってもいただきますは無かったとか・「いただきます」と"手を合わせて"「いただきます」を別に考えていると思ったのだが。言葉は昭和初期からで合掌は戦後に付加されたという流れ。・言葉の起源の話ではなくて、作法の話・#15 それは衣笠祥男じゃなかったっけ・>#33 食事作法は合掌で行いますな・地域差や身分差のある話だと思う。