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追悼:任天堂 岩田聡社長 HAL研究所の天才新入社員と高校2年生の思い出 by 藤本健
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/355/355736/
2015-07-13 21:45:36
>高校2年生だった私は、夏休みを使って当時のパソコン、NECのPC-8001用にサウンドボードを開発し、それを駆動するためのプログラムを作ったのです。自画自賛ですが、とてもよくできたので、雑誌で見かけた会社に連絡をし、買い取ってもらえないか交渉をしていました。
>5社ほど面談に行った会社の中で、第一希望だった会社がHAL研究所。5~6人の小さな会社で、そこで対応してくれたのが岩田さんでした。
・有名な人が亡くなると多くの人が追悼記事を書くけど、一人づつ投稿するのはやめね?故人との思い出話はお付き合いがあれば皆それぞれに持ってるだろ。収集つかなくなる。
・1983だと下手したらマシン語そのままでソース組んでるかなと思ったけど、流石にコンパイラはあったか
・高校生で音源ボード作れるってのも凄いと思うが
・#1 時間枠の決まった放送と違うし、紙面の決まった出版物でもなし、ネット上にスペースなんかいくらでもあるんだから、みんな好きに書きゃいいじゃねえか。いやなら読むな。
・#4 お前は#1のコメントを理解する気あるのか?
・関係が深かったほぼ日刊イトイ新聞はいくつか抜き出してリンクをホームに作ってたね
・#2 例示されてるのはZ80のアセンブラ(マシン語を人間に理解しやすく表記したもの)で通常コンパイラとは呼ばない。当時もコンパイラはあったけど。
・http://gnews.x0.com/20150713_090857/ のコメント欄でよい。
・#7 そっか、マシン語と1vs1変換の場合はアセンブラなのか。高級言語をまとめて翻訳するタイプがコンパイラね
・#9 マクロで半ば高級言語化したアセンブラもあった。そういやC++もテンプレートで別言語と化したのだった。