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尼コン:良縁求める「尼さん」支援
http://mainichi.jp/select/news/20150508k0000e040152000c.html
2015-05-08 12:49:01
>男性僧侶と出会うことができる「坊コン」の人気を受けて、
新潟市の情報サービス会社が初めて企画した。
・尼僧派に朗報。・え?男性の坊主が結婚しているのは知ってたけど、尼さんも結婚するものなのか!仏の教えって何なんだろうな。・どうして東京で開催(ry 尼って言ったら、尼崎やろ!!・尼寺って世を捨てて身を隠すイメージがあるけど、それも昔の話なのかな・蓮如とか13男14女。妻5人。羨ましい通り越して、ご苦労様…と、しか。・ググると日本の大乗仏教が小乗仏教に則って無いせいみたいだね。で日本ではほとんど大乗仏教。・昔の寺って、権力者がもう俗世を捨てて権力から離れます、って時に使われてた印象だけど、結構容易く還俗してた印象もあるな・直接的には明治5年太政官布告で「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」となり、当時から堕落していた坊主が犬の如くに従い、正当化されたと強弁したからだよね。福田行誠の反論は無視して。それ以外の、宗教的(?)な理屈付け(言い訳?)はいくつかあるけど、どうしても納得できない。寺の経営存続のためという一点のみにおいて、わずかに理解はできるけど。・♪尼・僧侶〜♪・#2 釈迦は、悟ったら転生しなくなったりして苦しみから解放されるから、自身の成功体験教えるね、と言ってるだけ・それは自身の努力で自身のみ悟る方法だけど、大乗仏教は、みんなで助け合って悟ったほうが成功率高そうだし家族知人一緒に救われた方がいいに決まってる、先に悟った先輩たちも助けてくれるって言ってるしみんなで頑張ろうぜ!みたいな感じ。・釈迦は煩悩を消し去って自身の力だけで乗り越えるタイプで、日本のはちょっと欲を我慢して悟りに近づき悟ってる人に引っ張り上げてもらうタイプ・だからまぁ尼さん含む僧侶が結婚しようがほどほどなら別にいいんじゃないの。別に釈迦の教えには反してないし。・#13 不淫戒は十重禁戒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E9%87%8D%E7%A6%81%E6%88%92にも記載されているんですが、それは。・#14 中国仏教の影響が強い教えではそうだけど、鎌倉仏教が確立されたあたりから現代においては有名無実になってるでしょ。釈迦は悟るといいよ!ってことを発見し、実際悟ってるから敬ってるんであって、釈迦の方法以外に悟る方法があるならそれでいいんじゃないの。・東大に入ったらやっぱ捗るわ!だけど独学で東大に入ろうと思ったらオナニーすらしてるひまねーから東大狙ってるやつはオナニー禁止な!って言われてたけど、現役東大生の家庭教師に教えてもらったり効果的な夏期講習とか行ってて模試もA判定なら彼女作って多少イチャイチャしたっていいじゃん。・#15>「釈迦の方法以外に悟る方法」 はうぁ!そ、その発想は全く無かった! なるほど、確かに他の方法があるならそうかもしれない。でも、それって果たして仏教なんだろうか…いや仏教は思想体系でありある程度の変遷があること自体は理解してるけど。ただ、不淫戒を破戒してもよいのは大乗仏教だからというのは違うとは思う(理由は#14のリンク先)。・というかスッタニパータの教えすらも踏みにじるものではなかろうか…確かに有名無実になっているけど、有名無実化していること自体を理由とするなら「赤信号、みんなで渡れば破戒じゃない」って戯言レベルの話の気がするけどねえ。日本は密教がある一定の地位を占めたから、理趣経のやや特異な解釈が元になっているんだろうかねえ。・立川真言流なら問題なし?・#17 その宗派のノウハウ利用して悟りを開こうとしているならその宗派のルールやぶっちゃ悟れないからダメだろうけど、十重禁戒自体は釈迦が作ったわけじゃないし、破戒に対する仏門追放も勿論釈迦が作ったわけじゃない。釈迦の教えの五戒は結局のところ釈迦式悟りに必要であったからだけど、そもそも絶対ダメって言ってないよ。・#19 日本が異様に不淫戒に寛容なのは一時的にも真言宗が席巻したからじゃないかと思っていたり。私には理趣経を理解することが出来ない、スッタニパータ等との矛盾を感じてしまうので、不淫戒を破戒することに理解できないのです。弘法大師はそこを理解されたのだろうけど。現在の日本の僧侶全員が既に理解していらっしゃるのかもしれないけどさ-・#20「愛情から禍いの生じること」を理解し「他人の子女にかかわること少し」して「あらゆる欲望までも、すべて捨てて」犀の角のようにただ独り歩め、と述べた最古の仏典で仏陀の言葉に近いとされるスッタニパータの立場は。宗教開祖自身が記載した戒律や聖典はマニ教ぐらいだしなあ。戒律自体はかなり古く仏教教団が創設されたころからあるはずだけどね。・#22 うろ覚えだけどキリスト教でもどういうのが姦淫とみなされるか具体例が聖書に度々出てくるけど絶対性交しちゃダメとは書いてない論争があるけど、それと一緒。そもそも釈迦自体が性行経験があって子を成してる時点で、1度でも性行を行うことで仏門追放、悟りへの道が閉ざされるという考えはおかしいと思うよ。・結局最初に戻るけど、悟ったらいいことがある点だけに着目してて悟る方法は仏陀式じゃないから日本の宗教が根本的に仏教じゃないって意見はわかる。・#23 えぇ…釈迦は、だからこそ妻と離れ出家し、息子にラーフラと名づけたんじゃないですかね…そのままで悟れるなら釈迦族の王のまま悟れたんじゃないかな…というか、何故、#22の言葉を残したんですかね…ただ、肉食妻帯が明治に解放されたために、キリスト教の様に少年性虐待が横行しなくなったのは素晴らしい。なんや、仏教の弥勒菩薩は明治天皇だったんや!・#20>「釈迦の教えの五戒は結局のところ釈迦式悟りに必要であったから」全くその通りと思うけど、堂々と破戒するのはいかがなものでしょうかね。戒律はスッタニパータを読むとその必要性が理解できるもので、やはり守るべきものでは。「釈迦式悟り以外に悟る方法」はどうかな。わかんない。その視点をくれたのは感謝してる。でも、それって現在の仏教界の定説なのかな?・>やはり守るべきものでは。 守ったほうがいいんだけどガチガチの戒律に縛ったところで大多数の人は守れないし悟れない、それは全ての人が悟りを開くことを目指す釈迦の教えに反するよ。・だから多くの人が悟れる方法を考えた結果「釈迦式以外の悟り方」(阿弥陀様にチートしてもらったら皆悟れるらしいのでチートの準備を手伝ったり応援するなど)が考えだされた。・大乗仏教というか日本でいう鎌倉新仏教の成立経緯がそれだから、「現在の仏教界の定説」というか大昔からそうだと思う。・大乗非仏説http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1037137295 http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/mutoku/16_01ryuujyu%20.htmlですね。大乗非仏説での戒律の取り扱いは無知で、わからんです。現在の日本仏教は仏陀ではなく龍樹が開祖と言ってもよい様ですね。なんてこった。自分は龍樹は釈迦の思想を発展させたのみという狭い理解だった。・#27 すまないけど、この点はわからない。戒律は悟りを目的とした方法を示すものであり、縛るものじゃないでしょ。四諦八正道の延長の様なものでしかないわけで。全ての人という意味では、在家にも戒という方法で伝えていて。戒には罰則はなく上手くフォローしている。人に伝道する僧侶が罰則を伴う律を守るべきとされたのは当然では。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%92%E5%BE%8B・#31 戒律を守るのは自己のみで悟りを目指す釈迦式悟りに必要だからで守らなかっただけ減点されて悟りの合格点まで遠のくか到達できなくなる。・浄土教的には足りない分は先輩が下駄はかせてくれるから各々頑張れる範囲でできるだけ点数ためとこうぜ、ってスタンスだよね。 五逆を犯さず仏の教えを悪く言わなければ阿弥陀様は助けてくれるって保証してくれてるんだから、信者や僧侶が少々戒律守らなくっても大丈夫じゃないのかね。・もちろん模範であるべき僧侶がその行いで信望を失って誰もついてこないならば僧侶としては失格だとは思うけれど、それでも阿弥陀様は救って下さるので一信者としては問題ないだろうし。・僧侶が十戒守らず子供作ってても、総合的に見て失望せず模範たるべき人と多数の人が認めてるならそれでいいと思うし、実際そう思ってる人が沢山いるからこその現状なんだろうね。・このニュースもお察しの真宗の話だし、真宗クラスタとかじゃなかったらムカムカするだけだと思うので怒ったり真に受けないでね。 クラスタ内でも都合のいいこと言いすぎだろ的な雰囲気はあるし。・過去に腐れ僧侶(主に浄土宗)を何人も見ての拒否感でした。#35 そして、多分、僧侶が現在認められているのは、江戸時代から生活に定着した歴史的背景と、葬式宗教化して道具として扱われる様になったその利便性のためだと思う。模範たるべき人と認めている人たちは少ないんじゃないかな…・さらに昨今では、その葬式費用/戒名費用に対する疑問と不信から見放しつつある人も多いんじゃないかな… 親戚が死んだ時のある晩、僧侶から〇百万円になりますといわれ返事を保留した次の朝、100万円値引きされた値段を提示されたときにはどうしてやろうかと思ったことがあるし。檀家制度崩壊のためなのかな。・自分は門外漢だけど、龍樹の考え方以降は、正直、言葉の遊びレベルの哲学論争で生活する上で何が必要なのかよくわからない話になってる気がする。だいたい、空の考えを推し進めれば、例えば浄土宗の念仏を唱えて阿弥陀仏に救われるという概念自体虚しいものじゃないかとも思うのだけど。道教かぶれ的な。龍樹は詭弁を弄する論争好きだったんじゃないかな。・龍樹が釈迦と違う方法での悟りを目的としたかどうかは知識が無くてわかんない。ああ、そういうことか-全ての人は縁起で結ばれているから、他人の善行をも期待して縁起全体で解脱ということ、大乗か-でも、それでその人自体の苦しみが和らぐの?例えば、光市母子殺害事件の夫は、そう言われて実際に救われるのだろうか?・確かに極稀に人格だけはまともな僧侶が居たことは認めますがね。その口から出る言葉は、あやふやなオブラートに包んだ人類愛や自己肯定みたいな、中に何が入っているのかわからない饅頭みたいなものだったけど。食べたら反吐が出そうな。そう、瀬戸内寂聴的な。例えば中村元氏の言葉はわかるのだけど。・ただ、どう生きれば、生きる苦しみを減らすことができるかという釈迦の教えがどうして途中で歪むのか。念仏唱えろ、題目唱えろ、戒名つけろ、座禅しろ、真言唱えろ、阿弥陀仏にすがれ?悪事はしても阿弥陀仏が救ってくれるから安心せよ?修法で現世の利益を得よ?来世で救われるために善行を積め?阿弥陀仏や大日如来を信じよ?・そんなの生きるための教えじゃなくて、適当な経典のある文言を大仰に言い立てて「信じるか信じないかはあなた次第」っていう戯言じゃないか!そんな事で、どうして苦しみが減るものか。わからんですよ。そして釈迦の系統の教えを口にする僧侶が淫欲にふける。わからんよ。ひっそりと生きて死んでいく野良猫の方が尊いんじゃないか。・でも攻撃するつもりはないし吐露しただけ。排泄物を見せられたみたいで不快だよね。本心より謝ります。もう止めます。釈迦の教えは好きですよ。でも#32はわかんないや。減点?悟りの合格点?#31以上の理解は現在の自分には無理そう。極端に言えば自分の欲を抑える行動療法の方法が戒律と理解している。それは自分の様な在家にとってすらも基礎だと思う。・色々書いたんだけど、よい考えや教えの観点を持った人を見つける妨げになりそうな感じだったので消しました。・仏教って言っても北伝南伝どこみたって釈迦の教えからは変質してるし、話に上がった龍樹についてだって真言宗とか浄土真宗内部でもあんまり持ち上げたりしない僧侶も割といるぐらいで、同宗同派の僧侶でも言うことが結構違うよね。構えず気軽に色んな僧侶と話してみるとよい僧侶が見つかるかも。