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菊地成孔先生の「セッション」批判について
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20150417
2015-04-17 12:51:23
>菊地先生が『セッション』を批判する個々のポイントはすべて仰る通りだと思います。
>ただそれは物語の欠陥ではなくて、キャラクターの欠陥として作者が意図して仕掛けたものであって、フィニッシュで昇華されていると思います。
・ドラマや映画などの創作物で自分の得意な分野のものが出てくると、つい間違い探しをしたくなっちゃうよね。・「 もう一度、菊地先生の言葉を引用します。それはこの映画のラストそのものです。」仮にラストでそれを描こうとしたにしても「音楽が素晴らしくある必要がある」と言ってるんだろ。三流の音楽では「全員グルーヴィーでハッピーになったのです。」にはなり得ず全く説得力が無い箸にも棒にも掛からない醜悪なものだと。素人騙しってのが気に入らないって事では?・アイドルもの作品で歌だけが取り柄という設定のアイドルがいるけど、演じてる人の歌唱力は出演声優の中でも下から数えた方が早いくらいなので歌のシーンのたびにもやもやするというあの現象ですね!・アイドルものはアイドルを綺麗に描いているはずだけど、これは「誰も知らない世界だから、マンガにでもしてしまえ」とあるようにその感動を強調する為に延々とジャズの闇がいい加減に描かれていて、それが完全なフィクションと言えず中途半端に現実と重なるものだから実情を知ってる人から見ると救いがなく耐えられないんだろ。・推薦文に「音楽をする私としては吐きそうな映画や。」と書く綾戸さんは凄いな。音楽家でなくとも「立場により強烈なメッセージが送れる」と誤魔化してはいるが。文脈的におしなべて否定的なものだろ。・#2 この映画は別に主人公が「一流の音楽家」になるものではなく、先生と二人がラストで昇華するためのものだ。だから、「音楽」を中心に持ってくる菊地氏の批判はおかしい的外れだと。この映画で音楽はただの舞台設定か道具、だから途中で全く違うプロレスに例えたし、最後にロッキーを出したんじゃないかな。・#6 目指してるだろ。考えは甘いが。「名門音楽大学に入学したドラマーのニーマンは、伝説の鬼教師フレッチャーのバンドにスカウトされる。彼に認められれば、偉大な音楽家になるという夢と野心は叶ったも同然と喜ぶニーマン。」代替可能って事かな。それを怒ってるんだろ。その話が#4ね。・別にプロレスでもボクシングでも構わない位ジャズに対する愛情が無いのに酷く扱ってるから怒ってるんだと思うよ。 「音楽をする私」とわざわざ断ってコメントしている綾戸さんも同じ様な感想だろ。舞台設定や道具とされた音楽家はもとより教師からも生徒からも親の立場から見てもひどいものだと。好意的に描かれていれば満足でも無いみたいだが。