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全焼から5年「座敷わらしに会える宿」の今
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/335928/
2014-11-24 18:55:54
>座敷わらしに会える宿」として全国的に有名だった岩手県二戸市、金田一温泉の緑風荘が全焼して5年。いよいよ再建に向け動き出した。
>しかし気になるのは、再建された宿に座敷わらしが再び現れるのかどうか? そして、そもそも座敷わらしに守られていたはずの宿がなぜ火事になったのか? 経営者の五日市洋氏(47)に聞いた。
いい話
・先祖をきちんと拝まないからとか言うのはほかにけなす理由が無いからであって、何十年も盆・正月に墓参り(父方母方とも)を欠かしたことが無いオレですら言われた それに子孫にたたる先祖なんかいないはずだろ・>子孫にたたる先祖なんかいないはずだろ (祟りという事象があるのを前提として)生者同士による虐待はあっても、亡者から子孫生者への虐待(≒祟り)はないはずだという理由がわからない・亡者と生者の区分ではなく祖先が子孫に祟らないと言ってるんじゃね?・実の家族からの虐待はあっても、祖先から子孫への虐待が起こり得ない理由とは?・子供を虐待する親がいるのにって話かな。俺もすんなり祟ったりしないと思うよ。「自分なら子孫を祟るか?」って事で祟りなんてものはおそらくその人の持ってる他者に対する見方が反映されるんじゃないかな。・崇徳さんは肉親を呪ったな・先祖が直接子孫を祟るというより、先祖の怨念が子孫に降りかかるという言い方はよくされる。こういうのは先祖も祟りたくて祟ってるわけじゃない(と思う)から、先祖が残した強すぎる思いを供養して鎮めるって話になる・祟りってたぶん虐待とかじゃなくて、例えば墓参りを疎かにしたら祟られた、とかの場合「墓参り来てよ!ねえ!草むしりしてよ!」とかケツをペシペシ叩きに来てるだけなのに生者が怖がって「祟りじゃあ」って過剰反応してるだけだと思う。・虐待の理由が「躾のつもりだった」ってのは珍しくない話ですよね。・#1 苦界に産み落としておいて敬え感謝しろとは、先祖の物言いは看過できないものがある。むしろ、不幸こそが祖先の本懐である。祟ってもおかしくない。・#9 「躾のつもり」ならまだ愛はあるだろ。先祖が子孫を虐待するために祟るの?・#11 #9は先祖に祟りの自覚がなくとも、生者(或いは第三者)の方で祟りと認識されることがあるのではないか、ってことです。愛の有無は無関係と考えています。「虐待」は、生者同士の虐待が、亡者から生者に行われたら祟りと呼ばれるだろうということで引き合いに出したもので、ここでは後者の虐待が客観的に祟りを意味するとして用いています。・うしおととらで、座敷童を監禁して栄えた家が、座敷童が解放されたことで潰れるってのがあった。商売に利用した罰があたったんだろう。