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ハラール肉と排外ヒステリア
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20140523-00035595/
2014-05-29 21:19:08
>英国のピザ・エクスプレスというチェーンレストランが、ハラールと呼ばれるイスラム教の流儀で処理した鶏肉を使用していたことがわかり、大きな物議を醸している。
関連? 富士そば:ハラルメニューを作っています!◇
・大は小を兼ねる理論で、よりこだわりのある方法に合わせるのは、合わせる労力の分だけ高コストではあるが、それが大した労力でもなく、部外者にも別段嫌悪感のある方法でなければ、いいんじゃないの。他文化に敬意を払う意味でも効率的と思うけど。何か異常な方法だったりしたら嫌だけど。 ・自国を乗っ取りそうなマイノリティに対する恐怖感がもっとも根深い原因だって書いてあるだろ。たとえば日本で公共の看板が「日本人にも中国人にもわかるから」と漢字だけで書かれることになったら、似たような反感は多分出るだろうさ。・流石に漢字だけでかかれたら日本人は分かる人少ないし、中国とは漢字が違うから分からないし、利便性が変化する問題を単純な感情の問題との例えには使えないだろう。・たとえ自分が全く信じていない宗教であっても、その宗教儀式が施された食品を食べるのはいい気分がするものじゃないだろう。ヒステリックというかむしろ正常な反応じゃないのか。・捕鯨のバッシングも同じ様に見えるな。ある種の正義感なんじゃないかね。正義とはおそらく嫌悪に対するアンチなんだよ。正義とは理屈ではなく感情に依るもの。・なるほど、正義性や正義学なんて言葉はなく、あるのは正義感だもんね。・それこそ儒教って正義に対する学問だと思うし、マイケル・サンデルはハーバードで「Justice」と言う名前の授業を行ってるんだがな。正義を理屈じゃなく感情と言ってしまうのは体系立った正義の論理説明に出会ってないからじゃないか。・共同体や人間関係における最大幸福、功利主義みたいな話をよくよく考えると、結局は嫌悪感こそが正義の実体というか源泉なんじゃないの、という気がしなくもない。第9地区とか見てそう思っ・#7 体系だった学問とは言っても神学に違いものじゃないかな。儒教やマンデルの講義は孔子やマンデルの考える正義の話でしか無い。イスラムの正義とキリストの正義は違うし、孔子とマンデルでもおそらく違うんじゃね?正義はどの神や誰を信奉しているかで変わる類のもの。正義を理由とした行為は疑った方が良いと思う。・神学が体系立った学問に見えるのは不完全性定理みたいなもんじゃね?矛盾を指摘するにはそのシステムの外から見る必要がある。システムを越えた知見を得るってことはすなわち信者ではなくなることだから信者である限り矛盾が指摘出来ない。・#9 サンデルはもっとメタ的な視点から見てるだろ。・#11 NHKの番組見ただけでかつあまり記憶に残らなかったのだが、倫理や道徳を実践する事を「正義」と呼んで結局煽り文句として使ってるだけに見える。話している内容は彼の考える倫理や道徳、社会愛みたいな話じゃね?マンデルがきちんと正義を定義しているならそれを説明してよ。・孔子の見ていた正義とマンデルのそれとは同じものなのかね?言葉の定義と言う事ではなくてそう言う意味ね。孔子の正義とマンデルの正義のどちらが正しいか議論出来るかが問題。信者にとっては重要な問題だろうけど第三者から見たらキリスト教とイスラム教のどちらがより正しいかみたいな議論は不毛な気がしないか?・同じものでなくて良いんだよ。そこに各々の正義に至る道筋を『「材料」から「矛盾」することなく「誰もが」選べるような手順が示せる』ならそれは感情じゃなく理屈だ。・サンデルだった。はずかちい。間違えて覚えてたよ。・#14 それは説得の類なんじゃないかな。同じものを追求していないと単に同じ言葉を使ってるってだけで学問としては成立しないと思う。・サンデルさんの話が学問として成立しないと言っている訳ではなくて、皆が同じ「正義」を見出せないとするなら学問足り得ないって話ね。・#16-17 科学的手法であるかどうかって事が問題だから、これで充分だと思うよ。・#14は「正義」が目的ではなく他人を動かす手段として正義を使ってるって事なんじゃね?学問てのはそれ自体を目的にしたもの。個人の考える善悪の域を出てないと思うんだよね。・それが一個人にのみしか通用しない分類と手法ではなく、ある程度の集団に当てはまるなら普遍性が認められるし、学問として充分に認められるよ。・#18科学的ではないんじゃね?サンデルさんのは情に訴えた授業に思えたが。儒教にしてもサンデルにしても自分の考える理想の社会の実現への手段として「正義」を利用してるだけなんじゃないかな。・#21 科学的手法に乗っ取ってるよ。認識が自然科学に拠り過ぎてるんじゃない?・#20 サンデルはどう普遍的に定義してるん?話はそれからじゃね?#17は学問の分野としてって話ね。・#23 個々の定義は問題じゃないよって書いたんだがなあ。・#22 俺の主張は正義を取り上げたサンデルの主張が非科学的だと主張するものではなく、正義ってものは個人の価値に依存するものだとの話。サンデルも彼の価値に基づいた正義を説明しているんだろ?・#25 俺の主張は、正義は理屈ではなく感情でしかないというのを、いや理屈として存在しているものだよといってるから、細かな正義が個々人に左右される存在であることを否定はしてないよ。・感情だって理屈を付けて説明は出来るだろ。それを説得だと表現したんだよ。因果関係の話で理屈が先にあって正義が決定されるのではなく、感情が先にあって正義を主張するものではないかと。・#27 判断するのは物理現象じゃなく人間だが、その判断の道筋には理屈が存在しているのだから、感情として理屈として存在しているものだし、儒教からの語義的なことを言えば感情で判断されるものは正義ではなく善し悪し。・#28 それって道筋を付けて説明出来るってだけなんじゃね?儒教においての正義はどんな位置づけなん?善し悪しと別の概念であるなら「悪い正義」ってのも存在すると?・#29 道筋をつけて説明できるなら、それは確立され体系だった正義としての概念だから、充分科学で学問だよ。自然科学によりすぎじゃないの? 悪い正義は存在しないよ。正義と言う枠に入るか入らないかの有か無だから。・#30 三段論法に従うと「正義は善」であり「善悪は感情で判断される」なら「正義は感情で判断される」とならないか?・#31 一番最初が違うからならない。「正義は善性を備えるがイコール善ではない」まあ、狭義の正義については儒教を勉強すればよろしい説明するつもりは無い。・#32 「善でないものは正義ではない」んだろ、それはすなわち正義であるかどうかは感情で決まるってこと。・#33 何一つ言ってることを理解してないと言うか。理解するつもりが無いんなら、もう良いよ。・#34 論理的な推論なんだから断定していいだろ。違うなら指摘しろよ。「理解するつもり」とか情に訴えてるだけじゃん。「悪行は正義にあたらない以上、ある行いが正義であるかは善悪を判断する感情によって決まる」何かおかしいか?・きっと儒教の文脈での正義とは「疑う余地の無い善(=倫理)」なんだろ。#10に書いたように儒教を信じてる人は#35みたいな考え方はしないんだろうな。その中の人でいる限り矛盾だとは思わないんだろ。・最近モルモン教が来たんで、ナイジェリアの女学生誘拐の話をしたけど、あれによって女学生がイスラム教への正しい教義に戻ったって話をしたら答えに詰まってたな。結局正義は個人に拠る物で、科学的客観視と異なる物だよ・サンデル自身は正義に対する定義は持っていない。彼は、究極の選択を迫られた状況において正義とは何かを考える思考実験を通して、「正義」という言葉がいかに未定義のまま、しかしそれにも関わらず平然と日常的に用いられているかを示そうとしているだけ。