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「さとうきび畑」の歌は、本土側の「沖縄幻想」だったか?
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/02/post-57d0.html
2013-02-28 00:03:24
確かに沖縄の水田が広がる風景は今ではイメージしにくい
・なにげに11番まで有るんだよな。この唄。
・本島ではあまりないが、宮古島とか行くと広いさとうきび畑はあるよ
・南大東島と沖縄の区別ついてない作詞家だったんちゃうんか 反戦こそが主題で実際の現地はどーでもいいという、今も繰り返されてるようなパターン
・#3少なくともサトウキビ畑は見たんだろ。 >1964年、作曲家の寺島尚彦が、歌手・石井好子の伴奏者として沖縄を訪問したとき、糸満の摩文仁の丘を観光した印象をもとに作詞・作曲した曲だ。>1950年代半ばになって、米政府の指導のもとに、沖縄の主要農産物としてサトウキビ栽培が推進された。そして、1960年代に入り、沖縄で爆発的とも言えるさとうきび畑の広がりを見せた。
・よく考えれば泡盛の原料もサトウキビじゃなくて米なんだし、当然と言えば当然
・あの歌は戦後に生まれた子供が会ったことのない父親を偲ぶ内容じゃなかったか
・4番で終戦の日に生まれたとあるから、単純に考えて1964-1945=9 9歳位がイメージか?
・「誰かさんと誰かさんが麦畑」の歌も、だいぶ違うよね。人が隠れられるほどの高さの麦は日本では珍しい。
・#3 在日の強制連行と同じような左翼の作文だよな。