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井上純弌ポニョ論考のまとめ
http://togetter.com/li/4998
2011-02-18 12:10:22
ラピュタを軸にしたフラクタル考察◆
・同感だなぁ。個人的にはロミオとジュリエットよろしく親たちがツンケンしてしまえばよかったのにと思ってる。「うちのムスメを~!津波にしてやる~!」「うちのムスコを~!戦争してやる~」というところまでもっていけたらよかったのにな。・あれは子供向けだから・公開直後の頃にこんな解釈http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-487.html(壷系ごめん)を読んでなるほどと思ったけど、この論考も長くないものの非常に興味深くおもしろいね。 この人は中国嫁で知ったけど、もともと論考に定評があるのか。・いわゆるセカイ系ってこと?・#4きみがそうだとかんじるならそれいがいのなんでもないんだよ。おさとうをなめてしょっぱいとおもったらしょっぱいとおおごえでさけぼう。・#5 言葉足らずで申し訳なかったけども、ポニョと宗助の二人の関係を描かざる得なかった状況がセカイ系っぽいよねと。井上氏の言う「深夜アニメの萌え」って言うならばセカイ系というか。違うのは、駿は描かざる得なかったが、他は描けなかったってことだけど・制限時間内に大げさな話をまとめるために若者二者の決断(世界の全次元的融和)を肯定してやるべきということであって、「なにもできないボク」が、世界を相手に戦う血みどろの少女を前にどぎまぎ煮え切らない系統の分類に当てはめるべきではないと思うよ。・#7 あぁすいません。http://twitter.com/#!/KEUMAYA/status/8675692451 の一点を中心とした言及なのです。・「もののけ姫」以降の宮崎駿って、作家としての無意識の不気味さみたいなものを吐き出すために、通常の劇映画としては「壊れた」できあがりを意図的に狙ってるんじゃねえかな、という印象がある。この人の分析読んだけど、ちょっと甘く見過ぎてんじゃないのかなーと思った。駿を。・#8ひとつの見方として不都合を覆い隠してどうのってところは別に深夜アニメに限らない。パトレイバーの活躍する場所に歩道橋がないのとおなじ。・だからセカイ系だから、みたいなつまんない言葉でくくってると意味がわからなくなると思う。で、その点で押井さんがそこを批判してるって構図がややこっけい。・ポニョと宗助が幼児であるって部分で救われてるんだよね。イノセンスでゴリ押せるから。劇中の大人達もそれを見守る、みたいな。これが少年少女だったら、目も当てられん。・#12 だと思う。幼児だから難しい説明をしないという点が=歩道橋のないパト世界 と同じで、これが主人公が成人男女だったら「おまえらがくっついてしもうたけん世界の融合をせにゃならんくなった、覚悟してチューしてセックスして子供作れや、ハンギョ相手に」というロジックがどうしてもいるから。・「世界を滅ぼすかも知れない選択に直面して、滅ぶほうを選ぶ」というのは宮崎駿の作家的なカルマだと思うし、「ポニョ」は子供向けにそれを見せきったように見えたけどなー。俺には。ただ、あまりにアンチクライマックスすぎて、娯楽映画としての盛り上がりを期待した人にはしんどい映画ではあったと思う。・いやクライマックスはあったんだよ。クライマックスであることを説明しないしそこを描かない(=歩道橋を出さない)だけで。まぁずるいよねあれ。・最初から宮崎は記事で指摘されてることを、意図してつくってるんじゃないのかなぁ。子供っぽいエゴの追及の為にまわりを巻き添えにする、正直に宮崎をフィルムに置き換えたらああなったって感じでしょ。・その辺は#3の宮崎のドキュメンタリーの反応とかに見て取れるね。どこかで言ってたけど鈴木Pが宮崎が壊れながら作る作品が見たい、て意味が判るわ・#17それかなぁ、宮崎は昔のベティブープみたいな昔のうねうね動くアニメがやりたかったっていうの。宮崎の溢れ出すうねうね満足汁に世界が覆われた後、古代魚が泳いでるのは記憶の古層にやって来たって表現なのかなぁと…・考えてみればこの人は、カリオストロの頃から満足汁溢れさせた後は古代ローマの町並みとか、古層の露出表現を最初期からやってるね。・つか、NHKのドキュメント見て衝撃受けたよ。だって、途中から連載漫画方式になってるんだもん。宮崎駿がうんうん唸ってコンテ書いて、読者(スタッフ)がそれを待ってるって言う・・・。・ポニョって思わせぶりで、意味深な作りをしてるね。で、まんまとお利口さんが引っかかって「読み解いた」って語りたがる。もうそういうのお腹いっぱい。出来のよい作品なら、たとえそういう記号が盛り込まれているとしても、子供が何も考えず見ても面白い。子供に総スカン食った時点で、いくら暗喩が込められていようが駄作であることにかわりはない。・大きな悪意を出現させずに人を賛唱したかったという挑戦的な姿勢はすごいと思う。