自動ニュース作成G
被害者遺族「執行ボタンを押させてくれ」 人権弁護士「人の死選択できない」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010082802000033.html
2010-08-29 22:33:37
>「遺族の多くは、加害者に更生してほしいと思っていない。反省は、ゆるしにつながらない。反省し真人間になっても『だから何なんだ』と言うしかない」
死刑制度に対する議論が盛り上がって来たといえるのか。
・被害者の遺族が殺せるようにしたら、まさに国家の力を借りて人殺してるだけになるんじゃないか。
・元記事は両論併記されているが、ニュー作がタイトル改変してまで訴えたいことが復讐論だってこと?
・#1 国家の力を借りているのも人を死なせているのもその通りだが、「だけ」じゃないな。死刑の意義自体は特に変わらない。
・刑罰って、復讐とは意味も目的も性質も全然ちがうものなんだよな。日本人ってポピュリズムに弱い国民だから、もしかしたら敢えて混同しようというレベルまで堕ちるかもしれない。怖いがありそうな話ではある。
・それにしても死刑反対派の主張、これっぽっちも説得力がないな。死刑囚の立場だけ一方的に述べて、なんの理由も示さず「死刑はいけない」と繰り返すだけ。宗教かっつーの。
・死刑反対派の人の家族が残酷で無慈悲な殺され方をしても同じ主張ができるのか、聞いてみたいものだ。
・最終的には感情的なところに行き着くから、説得力はどちらもあるし、どちらにもないとも言える。「宗教」という見方も、あながち間違いではない。
・#4 法で定められているのが刑罰、そうでないのが復讐だな。で、お前はここで何をつぶやいているわけ?
・#8 死刑制度の問題を語るときに、「遺族にボタンを押させてくれ」みたいな話題がのぼること自体、賛成反対関係なく程度低すぎてどうしようもねえ、という話。
・加害者を生かしておけない程に憎かったら、自分の手で殺せばいい。俺ならそうする。後は死刑でも何にでも。「復讐」がしたいのなら、国や他人の力を当てにするな。
・#2 改変改変うるせぇよ。俺は露作じゃないよ。
・#9 遺族の心情の報道として何もおかしくないだろう。#4で書いてることと何のつながりもないし。レベルの低い話をしているのは誰なんだか。
・#10 国が復讐を禁じて妨害しているのだから、その主張は不適当。
・#12 遺族の心情の報道じゃないでしょ。これ。<対論『死刑制度』>ってタイトルでしょ。何言ってんの?
・#14 その中の紹介にすぎないでしょ。それが#4のコメントにどうつながるの?ちゃんと論理で書いてみ。
・感情論は、制度を考える切っ掛けにはなる。だが、感情論のままなら程度が低いと言われても仕方が無かろう。/両論併記という点を考慮してタイトルを修正したようだが、これなら意図が正しく伝わるだろう。>ニュー作
・#4 刑罰に私的復讐に代わる公的復讐の面がある以上、全然違うとは言えないんじゃない?
・#15 国民が国民自身の責任で暴力を例外的に許可して、犯罪者に暴力を行使すること。罰金を科す。懲役に処す。殺す。そういう国家的・国民的応報が刑罰。「個人的な復讐を刑罰の意義に含めろ、復讐の権利を個人に与えろ」という発想は、死刑制度の存廃を議論するときに出てくるような話題では本来ない。
・#16 精神的被害を訴えるのは感情論じゃないよ。司法でも量刑判断の根拠として認められ尊重されている。死刑反対派のことを指しているのなら確かに感情論しかないし幼稚だけど。
・死刑制度の存廃を議論する際に「復讐」の要素をクローズアップすることが、「程度低い」と思うか、「ふさわしい」と思うかは、個人の趣味だろうが、自分は感心しない。混同すべきではないと考えている。そういう考えで#4を書いた。
・#18 対論者の誰がどこで「復讐の権利を個人に与えろ」なんて主張してるの?捏造もたいがいに。
・#20 混同しているのはあなたでは?少なくともインタビューに応じている人は「刑罰」としての死刑執行を求めているよ。
・#21 #22 「被害者遺族には「執行ボタンを押させてくれ」という人も多いという。」 存廃どちらの主張にせよ、死刑制度を議論するときにこういう一文が入ること自体ろくでもない、という立場なので。もちろん遺族の怨嗟の念というのは分かるし、激しく同情もする。でも、問題として混同したくない。
・#22 国家が第三者として下す刑罰に、被害者が関わりたい(すなわち復讐したい)という意見が多い、という点はタイトルからも分かったのでは?
・#23 本人が言ってもいないことを、さもそう主張したかのように捏造したってことだよね。レベル低いのは自分だと、情けなく思わないか?
・#24 被害者一般の感情としてはそりゃ多いでしょうね。で、それと記事中の人の主張とが混同されているよね、って話なのですが。(「個人的な復讐を刑罰の意義に含めろ、復讐の権利を個人に与えろ」なんて意見はない)
・#17が書いている通り、刑罰に公的復讐の面があることは否定できないわけで。論として混同されている、てならともかく、同じ記事中にあるというだけで見たくない聞きたくないと駄々をこねるのはそれこそ低レベルの感情論だね。
・#25 自分のコメントが、本文の捏造とか印象操作みたいに捉えられるのは正直ちょっと分からない。ただ、自分は犯罪抑止の意味で死刑制度存続派だが、復讐とか心情的救済という観点で死刑制度の存廃を議論するのは誤りだと思っていて、そこに妙にこだわりすぎたコメントを投稿してしまったという反省はある。そこを不快に思われたなら謝る。
・#28 #21に書いてある通りだよ。#18にある「復讐の権利を個人に与えろ」って主張は対談者はしていないでしょ。だから#21の質問に適切な回答ができなかったんでしょ。それが捏造ってこと。
・「死刑じゃないなら無罪にしてくれ、俺が殺すから。」って言った被害者家族いたよね。
・#29 何度も書くが、自分が引っかかっているのは死刑制度の存廃を議論する記事に『遺族には「執行ボタンを押させてくれ」という人も多いという』みたいな一文が入ってくること(復讐や心情的救済の要素をクローズアップすること)であって、対論者の発言・主張については引用も言及も評価もしていないのだが。
・自分が#18に書いたことは、対論者が主張したことだなんて思ってないし、そう思わせるように書いたつもりもないし、そう受け取られるとも思っていない。何が捏造に見えたのか知らんが、誤解じゃなければ因縁としか思えない。
・ヒラコーのドリフターズ思い出した。
・#28を書いておいて#32はみっともないよ。
・「遺族の被害感情の大きさ」は最高裁の死刑適用基準になっているほどなのだから、死刑論議に遺族の生の声の紹介はむしろ必須と言える。遺族感情を伝えるのは駄目だとか内容がよくないとか、そういうのは一切根拠のない、ごく一部の人間のわがままなのだから無視しておけばいい。